甘いシニフィエ/揺れるシニフィアンIndependent Archive
「ほんもの」は探すほどコピーになる。 午前二時の交差点、ショーウィンドウ、レコード針、喫茶店の砂糖壺。 誰かに見られ、名付けられ、引用され、少しずつずれていく“その子”の歌です。
わたしはまだ眠っています
作品を手放したあとに残る、作者の視線と逡巡のログ。
解釈は読者に委ねたまま、書いている最中に見ていた輪郭を残すための余白です。
小説は、書き終えた瞬間に読み手へ渡されるものだと思っています。 その意味で、この作者ノートや後書きはたしかに蛇足です。完成したものを読者に委ねることは、小説の大事な要素のひとつでもあります。
それでも、言葉には限界があります。わたしたちはヴィトゲンシュタインの言う言語ゲームの中で生きており、多くの場合において書いたこと以上の思いはうまく伝わらず、こぼれてしまうことがあります。
解釈は自由であってほしい。けれど、作者として何を見ていたのか、どんな場面からその言葉が生まれたのかを少しだけ残しておくことも、そんなに悪いことではないはずです。
「ほんもの」は探すほどコピーになる。 午前二時の交差点、ショーウィンドウ、レコード針、喫茶店の砂糖壺。 誰かに見られ、名付けられ、引用され、少しずつずれていく“その子”の歌です。
傷つきの直後に必要な避難と、そこから現実へ戻るための接続を描いた作品です。MVでは、応急的な肯定がどのように機能し、どの地点で再接続へ向かうかを映像と音で追っています。
書きたかったのは、炎上社会の過剰反応それ自体よりも、謝罪会見という形式がいったい誰のために存在しているのかという問いでした。本当に被害者へ向かうための場なのか。それとも、視聴者の不安をいったん鎮め、会社が対処している顔を作り、メディアが切り抜ける素材を増やすための場なのか。会見場にいる全員が「必要だ」と言うのに、その必要性の持ち主だけが曖昧なまま進んでいく。
この町では、言葉も記憶も身体も、少しずつ誰かとつながっている。
わたしが住む縁町。
この町では、会話をすると字幕が見える。
昨日の自分から手紙が届く。
言い間違いは「訂正屋」が直してくれる。
卒業する先輩たちは、自分の影を学校に置いていく。
少し不思議な制度が、当たり前みたいに息づく町。
その中で、人はずれる言葉に戸惑い、昨日の自分を読み直し、誤りから更新し、他人の気配を身体に受け取りながら生きていく。
理解とは一致なのか。記憶がなくても自分は自分なのか。
誤りは欠陥なのか、それとも変わる入口なのか。自分らしさは、ほんとうに自分ひとりのものなのか。
軽やかな会話と、少し不思議な町の風景の中で、自己・他者・記憶・身体を静かに問い直す連作短編集
フォローしてきたのは幽霊だった。
この世界では、死んだ人が生きている誰かをフォローできる。
未練の弱い幽霊なら通知を数回鳴らして消えるだけ。
でも水瀬葵のスマホに届いたゴーストフォローは、昔の写真やメッセージを何度も浮かび上がらせる少し厄介なものだった。
その通知の先にいたのは、高校進学のときに町ごと切り離したはずの中学時代の旧友・真白。
見ていたつもりで、見ていなかった。
終わったつもりで、終わっていなかった。
他者と記憶の不穏さが差し込む哲学的短編。
幸福より、自分に似合う不幸のほうを信じてしまう。
大学の進路支援AIには、「向いている不幸」という妙な診断項目がある。
“遅咲き成功型”“平穏だが空虚型”“一度だけ大きく裏切られる型”
――そんな診断結果で盛り上がる新入生たちの中で、和泉澪に告げられたのは「報われない片思い型」だった。
最初は笑い話のはずだった。けれど気になる先輩ができたとたん、そのラベルは少しずつ現実に入り込んでくる。
これは本当に当たっているのか。それとも、自分が診断に合わせて失敗しにいっているだけなのか。
ラベルと自由、自己像と恋を描く哲学的短編。
名前で縛られないための制度は、残酷に「自分らしさ」を求めてくる。朝倉凪紗と篠宮の連作の起点
この国では、十六歳になるまで正式な個人名を持たない。
それは、親や社会が子どもに先回りの期待を押しつけないための制度だった。
けれど実際には、名づけアプリ、印象ランキング、進学に有利な名前の傾向までが出回り、“自分で選ぶ自由”は新しい同調圧力になっている。
家族に呼ばれてきた音、学校で扱われる姓、親しい相手に呼ばれる名。
そのどれもが自分の一部だとしたら、名前を選ぶとは、本質の発見ではなく、呼ばれてきた自己をどう引き受けるかという選択なのかもしれない。
制度への風刺と自己同一性の問いを織り込み、その後の『友達のまま卒業する制度』へつながる短編。
朝倉凪紗と篠宮の制度連作の最初の話です。ここでは「名前をどう選ぶか」が問われ、そのあとに「二人の関係をどう残すか」を扱う『友達のまま卒業する制度』へ続きます。
次に読む作品『名前の保留期間』で名づけを選んだ朝倉凪紗と篠宮のその後。関係を守る制度が、関係を言い切りすぎるときの続篇
卒業前、この町ではひとりだけ「卒業後も残したい相手」との関係を登録できる。
親友、相互扶助相手、人生証人。どの名前も間違いではないのに、どれかひとつに丸をつけた瞬間、そこからこぼれてしまうものがある気がした。
『名前の保留期間』で名づけを選んだ朝倉凪紗と篠宮が、今度は二人の関係そのものを制度へ提出できる世界で立ち止まる。
登録しないことは逃げなのか、それとも圧縮への抵抗なのか。
書類に入る名前と、書類に入らない呼び方のあいだで揺れる、卒業前夜の物語。
ひとつは停止できない声の話、ひとつは読み切れない記憶の話。月町ミミの物語は、不在になったはずのひとが、記録と記憶のなかでどこまで残りつづけるのかを追う物語です。
死んだ推しは、いつ本当に終わるのか。
十年前に死んだ地下アイドルが、故人型人格サービスによって朝七時に届き続ける。更新され続ける人格は同じ本人と言えるのか、死はいつ二度目に起こるのかを追う第一話です。
覚えることは、しまうことと同じなのか。
ミミの未送信メールと、それを読む凪斗の時間を通して、記憶はどう思い出へ変わるのかを追う第二話です。《要文脈》という言葉が、守ることとしまうことの境界を揺らします。
月町ミミの物語をもとにした、記録と記憶の残響を音楽MVとしてまとめた映像です。不在になったはずのひとが、ログと記憶のなかでどこまで残りつづけるのかという主題を、映像と音で別の角度からなぞっています。
薬師寺先生は、事件を解決するのではない。
先に決められてしまった誰かの輪郭を、拾い直す。
高校の保健室にいる養護教師・薬師寺先生のもとには、怪我や発熱だけではなく、言葉になりきらなかった違和感が運ばれてくる。
誰かに押しつけられた役割、先に決められてしまう性格、教室の中で少しずつ薄くなる位置。
薬師寺先生が拾うのは、事件そのものではなく、事件の手前で取りこぼされた「その人の位置」だ。
解決よりも訂正を、理解よりも呼吸を、結論よりも「まだ決めないでおくこと」を選ぶ長編。
失ったのは物ではなく、世界への開かれ方かもしれない。
「期待する感じ」「怒る力」「人を見る目」のような、落としものと呼びきれないものを扱う相談所。
失ったのか、変わったのか、摩耗したのかを本人にも確定できないまま、仮登録だけが進んでいく。
返却先の「自分」は誰なのか、全部ではなく一部だけを戻すことは何を意味するのか。
喪失を対象ではなく関わり方の変化として読む、作者ノート先行公開の短編です。
弟の死のあと、ひとりの人がいくつもの本当として残ってしまう。
弟の葬式で、ユリは自分の知らない弟を何人も見送ることになる。
母の中の春人、父の中の春人、友人たちの中の春人、そして自分の中の春人。
どれも完全には退けられず、ひとりの死者が複数の本当として残ってしまう。
赤いリュックと「今日の分だけ」という小さな温度を通して、喪失が残された人の生活の中で続いていくことを読む、作者ノート先行公開の短編です。
善意ではなく、例外を持たないことで、橋は保たれている。
夜にだけ現れる「鏡砂糖の橋」を渡るには、その夜だけ他人に許すことを札に書かなければならない。書いたことは、そのまま自分にも返ってくる。ある晩、ひとりの少女が「自分だけは、何を書いても例外」と記したとき、橋は壊れなかった。けれど町の何かは、たしかに壊れはじめた。
同じ時間を生きられない二人が、最後に「待たないこと」を選ぶ。
時間に厳しい佐伯律と、世界から一秒ずつ遅れていく瀬戸澪。
待つことは愛なのか、それとも待たないことが相手を自由にするのか。
遅れが一時間に達した日、二人はまだ言葉が届くうちに海へ向かう。
「待たないこと」を選ぶまでの過程を描いた、完結短編です。
失言は消せる。でも、消した自分の口だけが覚えている。
「発話事故補償保険」に加入していると、年に数回だけ「今の発言はなかったことにする」が使える。
大学入学とともに加入した三崎あかりは、図書館スタッフの朝倉先輩に失言を重ね、二回保険を切った。
消えた言葉は相手の記憶から薄れる。けれど、言った自分の中にだけ残る。
言葉の責任を保険会社に預けながら生きることと、失言したまま壊れないことの、どちらを選ぶか。
言語行為と自由意志を軽やかに問う青春短編。
選ばれなかった世界が、夕方の校舎でぷかぷか飛んでいる。
放課後の校舎に残り続けるシャボン玉は、選ばれなかった別の世界を映している。
シャボン玉を割る係の水守は、自分のいない教室を見てしまう。
不在の席に誰も困っていない。世界はちゃんと回っている。
それでも、自分のいる側の現実を引き受けることはできる。
ライプニッツの可能世界論と実存主義を軽やかに交差させた青春短編。
恋文より先に、恋文の読まれ方が残ってしまう。
菓子缶の底から見つかった数通の手紙と、あとから増え続ける注釈。
控えめな好意として読める二通と、送られなかった一通が、読みの順番そのものを変えてしまう。
遺族の証言、判読ログ、編者注、本人の回顧が重なるほど、本文の中心はかえって揺れていく。
恋文かどうかではなく、誰がどの位置からそれを恋文と呼びたがるのかをめぐる短編。
広くなったのは部屋ではなく、追い出していた不在のぶんだけ、朝の空気が正しい寸法に戻ったのかもしれない。
朝、目を覚ますと部屋が一歩ぶんだけ広くなっていた。
黄色いマグカップ、二膳の箸、しおりの挟まった文庫本が、忘れていたはずの誰かの生活を先に思い出していく。
思い出すことは取り戻すことではない。それでも、そこに誰かがいたという事実だけは、ようやく部屋の中へ置いておけるようになる。
別れたあとの暮らしに残る広さと、朝を迎えるために必要だった忘却をたどる短編。
きれいな循環図には、まだ名前のない短い停止が描かれていない。
昼休みの終わり、給食は「食べるもの」から「片づけるもの」へ一斉に切り替わる。
残菜バケツを持った僕は、配膳台に残った食べものたちの声を聞く。
給食でもなく、まだ資源でもない、そのあいだにだけ生まれる短い時間がある。
残飯という名前がいつ始まるのか、共同体の輪からこぼれる瞬間をたどる短編。
父のずれた言葉は、壊れた文ではなく、未来を切り出すこちらの癖を揺らしてくる。
帰郷した娘は、病を得た父の言葉が少しずつ未来形を失っていることに気づく。
鳥は「来た」ではなく「いた」として現れ、雨は「降る」より先に「濡れる」として触れられる。
老いと喪失を通して、人間が出来事を過去・現在・未来に切り分ける癖そのものが、わずかに揺らぐ。
鳥、雨、種、母のメモを通して、時間の文法の外側をのぞく短編です。
愛は純粋か不純かではなく、混ざったままでも誰かへ向かおうとする。
好きな人の心臓から、ときどき広告が流れる。
その広告は嘘を暴くのではなく、好意に混ざっている自己承認や不安や所有欲まで一緒に鳴らしてしまう。
愛は本物か偽物かではなく、本物と偽物が混ざったままでもなお誰かへ向かおうとする運動なのではないか。
その問いを、会話と生活音のなかで追っていく短編です。
見えないことは自由ではなく、ときどき礼儀として身につけさせられる。
空気を読むこと、場を乱さないこと、相手を困らせないこと。
そうした礼儀の積み重ねが、いつのまにか「ここにいるのに、いないみたいに振る舞う」技術へ変わっていく。
水瀬葵、佐倉ユウジ、飯塚正夫、椎名ミカ、匿名希望という名前の並びから、見え方と自己消去のねじれをたどる作者ノートです。
まだ決めきれない気持ちを、停滞ではなく短い猶予として持ちこたえるための坂。
進路希望調査票を前に止まってしまう結と、神社の坂で出会う少し疲れた神様。
祈りを願望の完成形ではなく、まだ触り方のわからない本音をいったん持ち運ぶための形式として読み直します。
保留は停滞なのか、それとも自分に早すぎる本文を押しつけないための猶予なのかを、坂・絵馬・メッセージの往復から考える作者ノートです。
いちばん長く考えた人が、いちばん好きな人とは限らなかった。
アプリがその日誰のことをどれだけ考えたかを可視化する世界。宮下すずのレポートには、想定していなかった名前が五十一分で最上位に来た。
感情に外側が生まれると、自分の内側は証拠として扱われはじめる。「いちばん長く考えた人が、いちばん好きな人とは限らなかった」——その余白をめぐる短編です。
夜の問いから逃げなかったとき、スタンプが増える。景品は、まだ決まっていない。
深夜二時二十二分のコンビニ。毎夜、世界が少しだけ止まる時間に、ミナのレジに誰かが訪れる。
死んだ友人、しゃべるカップ麺、コピー機から出てきた自分、世界の作者、まだ名前のない子——五夜に渡ってレシートが出力され、一枚のポイントカードが残る。
謝罪の構造・棚と配置の不平等・同一性・痛みの物語化・仮存在の音をめぐる深夜の短編。
保留を処理する手つきそのものが、ひとつの物語になる。
レシート、賞味期限切れのチョコレート、コメント欄、未送信メモ。
日常の小さな判断を追う語りが、やがて「あなた」をひとりに固定できない地点へ進んでいく連作です。
情報の正しさより、保留をどう抱えて話すかに焦点を当てています。
未完成作品です。内容は変更される可能性があります。
日常をログとして管理する世界、少女たちはノールックでハイタッチを交わす。
わたしの言語の限界が、わたしの世界の限界を意味する——言葉にできない想いは、存在しないことと同じなのか。
日常をログとして管理する世界の中で、少女たちはノールックでハイタッチを交わす。
それは言葉にならず、記録にも残らない。けれど世界で一番たしかな共鳴。
世界があなたを忘れても、私だけはあなたを覚えている。
本文にならないものほど、あとで残る。
連絡事項や注意書きのような本文より、紙の端に書かれたどうでもいい一言のほうが、その日を正確に残していることがある。
小鳥遊小春が出会うのは、そんな余白ばかりを読む少し変な部活。必要な情報と、残る言葉は同じではないというずれをたどる連作です。
現在は未完成のため、公開内容は今後変わる可能性があります。