書きたかったのは、未来を知ることではなく、未来が先に消費されてしまう怖さです
予定を立てることは悪くありません。けれど、高三の時間はしばしば「まだ来ていないはずの日」が先に意味を持ちすぎます。合否の出る日、提出する日、決める日。未来の日付が先に並ぶほど、現在は準備期間に押し縮められてしまう。
未来貸出カウンターは、その感覚を極端な形で可視化した装置です。未来の日を借りられるなら、人は今日の迷いを飛ばしてしまえるかもしれない。けれど、その便利さは、現在を生きる手間を抜き取ってしまいます。
ハイデガーの時間論を借りると、人は未来へ向かって生きますが、未来は一覧表ではありません
ハイデガーが考えた未来は、単なる先の日付ではなく、自分がどう生きるかの可能性として開かれるものです。未来は前もって配られる答えではなく、まだ自分のものになっていない可能性です。
だから未来を貸し出すカレンダーは、可能性を予定に変えすぎる装置として読めます。まだ引き受けていないはずの未来が、先に所持品のように扱われる。そのとき人は、未来へ向かう主体である前に、未来を処理する管理者になってしまいます。
ベルクソンの持続を手がかりにすると、失われるのは日付ではなく、生きられる時間の厚みです
ベルクソンは、時計の時間と生きられる時間は一致しないと考えました。同じ一日でも、重い日もあれば、すぐ過ぎる日もある。時間は均一なマス目ではなく、経験の厚みとして流れています。
未来貸出カウンターが危ういのは、その厚みを無視して日付だけを先に使えるようにする点です。未来を借りれば、帳面の上では楽になるかもしれない。けれど経験としての現在は、そのぶん痩せてしまう。その痩せ方を、この短編ではずっと見ていました。
相良をここに置いたのは、彼女が未来を急いで持ちたがる人ではなく、現在に戻るまで時間がかかる人だからです
相良は決断が遅い人物ですが、それは未来への意欲がないからではありません。むしろ、未来を引き受けるには現在の感触が必要だと身体で知っているから、すぐに飛ばせないのです。未来を先に借りてしまうと、その人らしさはむしろ削られてしまう。
この作品では、未来を先回りして持つことより、今日の迷いをちゃんと通ることのほうに価値を置いています。迷いは効率の悪さですが、同時に、自分の時間へ戻るための通路でもあります。
結びに代えて。未来は借りるものではなく、まだ自分の速度で迎えに行くしかないものです
この作品で残したかったのは、未来を先に確保しても安心にはならないという感触です。安心は、先に日付を持つことからではなく、その日が来るまでの現在をどう生きるかからしか生まれません。
だから『未来貸出カウンター』は、便利な装置の話ではなく、現在を置き去りにしないための話です。未来は予定表の中に並んでいても、経験としてはまだ来ていない。その当たり前を守るために、この短編を書きました。